皆さま
AJO LABOへ、ようこそ。私はお手伝いハルコと申します。
えっ、そんなの知らないなんて! まぁ、まぁ、これから私のことやAJO BASE、AJO LABOのことを知っていただきますから、気長にお付き合いくださいませ。
お手伝いハルコこと後藤晴彦は、AJO LABO(にんにく研究所)の主席研究員を務めております。と、言っても別ににんにくの専門家でも研究者でもないのですが、ご縁があり巣鴨地蔵通り商店街の「あほやにんにく堂」のお手伝いをすることになり、この北千住のAJO BASE併設のAJO LABO(にんにく研究所)で皆さまに、にんにくに関する情報発信をはじめちゃいま~す。
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日本ににんにくが入ってきたのは中国経由で8世紀ごろといわれているのですが、8世紀というと飛鳥時代から奈良時代の頃ですね。しかし、一般的に庶民がにんにくを食べられるようになったのは明治以降のことなんですね。
さて、どうして日本では長いあいだにんにくは食べられていなかったんでしょうか? わかりますか?(そんなの知らないって!)だめですよ、ここは試験に出ますからね。
その答えは飛鳥時代に仏教が日本に伝来したことと関係があるのですよ。お坊さんは修行の妨げとなるというのです。
禁菫食(きんくんしょく)といって仏教の採食の中でも食べてはいけない五菫(ごくん)の中のネギの仲間はダメだったんですね。ネギ、ラッキョウ、玉ネギ、ニラ、そしてニンニクも入っているんですね。(これは時代や考え方で色々と説もあります)
まぁ、全部匂いがある食材ばかりですが、これらを食べると元気になり妄想(?)豊かで修行の妨げになると考えられていたんですね。
そんなことも影響して一般庶民にもにんにくは広がらなかったので和食や日本料理に使われる機会はあまりなかったんです。
料理ににんにくを使わない調理法は逆に珍しいと思うのですがね。
さて、この食べられなかったにんにくが広まるのは次回のお話で。